平山郁夫
ひらやま いくお
- 1930年
- 瀬戸内海の生口島(広島県豊田郡瀬戸田町 現:尾道市瀬戸田町)に生まれる。
- 1945年
- 広島市にて被爆。
- 1947年
- 東京美術学校(現:東京芸術大学)日本画科予科に入学。
- 1952年
- 東京美術学校日本画科を卒業。東京芸術大学美術学部日本画科副手となる。前田青邨に師事。
- 1953年
- 第38回院展に初入選。東京芸術大学日本画科助手となる。
- 1959年
- 原爆の後遺症で制作面でも行き詰まっていたが、第44回院展に「仏教伝来」を出品し、制作上の転機となる。
- 1960年
- 第45回院展に「天山南路(夜)」を出品。仏伝シリーズの制作をはじめる。
- 1961年
- 第46回院展の「入涅槃幻想」で日本美術院賞を受賞。日本美術院特待に推挙される。
- 1962年
- 第47回院展の「受胎霊夢」「出現」で日本美術院賞を受賞。第1回ユネスコ・フェローシップによりヨーロッパへ留学。
- 1963年
- 第48回院展の「建立金剛心図」で激励賞・白寿賞・G賞を受賞。
- 1964年
- 日本美術院同人に推挙される。東京芸術大学美術学部日本画科講師となる。第49回院展の「仏説長阿含経巻五」「続深海曼荼羅」で文部大臣賞を受賞。
- 1966年
- 東京芸術大学中世オリエント遺跡学術調査団に参加しトルコへ。イヒララ渓谷の中世キリスト教寺院、修道院の壁画模写に従事。
- 1967年
- 法隆寺金堂壁画再現事業に携わる。
- 1968年
- 中央アジアを旅行。仏教伝来の源流を訪ねるこの旅が、シルクロードに情熱を傾ける発端となる。
- 1969年
- 東京芸術大学助教授となる。
- 1970年
- 日本美術院評議員に推挙される。
- 1973年
- 東京芸術大学教授となる。高松塚古墳壁画の現状模写に従事。東京芸術大学イタリア初期ルネッサンス壁画調査団に参加。
- 1974年
- ローマ法王庁から大聖グレゴリオ騎士銀褒賞を贈られる。
- 1975年
- 日本美術家代表団の一員として初めて訪中。
- 1976年
- 第8回日本芸術大賞を受賞。イラン・イラク・シリア・エジプト・トルコにて「平山郁夫 日本画展」開催。
- 1979年
- アテネ・北京・広州にて「平山郁夫 日本画展」開催。初めて敦煌を訪れる。
- 1981年
- 日本美術院理事となる。
- 1983年
- 第1回東京芸術大学敦煌学術調査団に参加。
- 1984年
- 外務省日本中国文化促進代表団に参加。薬師寺玄奘三蔵院の壁画制作に着手。
- 1985年
- 北京中央工芸美術学院外国人名誉教授となる。
- 1988年
- 東京芸術大学美術学部長となる。ユネスコ親善大使に任命される。かねて設立を提唱していた文化財保護振興財団が発足し、理事に就任する。
- 1989年
- 日本楼蘭学術文化訪問団団長として楼蘭を訪問。東京芸術大学第6代学長に就任。
- 1991年
- フランス国立ギメ東洋美術館で「平山郁夫シルクロード展」開催。フランス政府より、文化交流、文化財保護への貢献に対して、コマンドール勲章を授与される。
- 1992年
- 日本中国友好協会会長に就任。早稲田大学名誉博士となる。
- 1993年
- アンコール遺跡救済特別企画「平山郁夫の眼と仕事」を開催。文化功労者に選ばれる。
- 1994年
- 黒部峡谷を取材。宇奈月町政施行40周年記念特別講演を行う。文化財保護振興財団理事長に就任。
- 1995年
- 第13回東美特別展に「幻の瀧」をはじめとする黒部峡谷取材作品を出品する。ユネスコ特別顧問に就任。東京芸術大学長を満期退任(2001年~2005年、学長に再任される)
- 1996年
- 日本美術院理事長に就任。フランスより、レジオン・ド・ヌール勲章を授与される。
- 1998年
- 文化勲章を授与される。
- 2000年
- 奈良、薬師寺玄奘三蔵院の「大唐西域壁画」が完成。
- 2009年
- 12月2日、逝去。(79歳)